日本共産党柏原市会議員 橋本みつおのブログです。

アメリカの押し付け憲法ではありません❗

本日(3日、水、憲法記念日)は、自転車を使っての宣伝をしました📢。

5月14日の日本共産党の演説会の案内を中心🙏にしました。

この宣伝は、大変目立ちます👀。

柏原舟の記念碑で少し休息🎶。

自転車なので平地をまわりました。

わざわざ車を止めて「頑張って」❗の励ましの声も頂きました✨😌✨。

途中、ドラえもんも応援してくれました。

お昼は、事務所でざるそば食べました。「美味しーい」

針谷足立区会議員のブログより

 日本国憲法は米国に押しつけられた憲法ではなかった。日本の民衆の願いの結晶として生まれたものです。
 鈴木安蔵氏は一九〇四年三月三日、は南相馬市小高区の商家で生を受け銀行員だった父は二十七歳で病死。母に育てられ、猛勉強します。
 飛び級で旧制第二高等学校に進むと「新カント哲学」に熱中。
 さらに「貧困、飢餓、売春、失業、疾病など社会矛盾を除去しよう」との思いで「社会思想研究会」を結成します。
 一九二四年、京都帝国大学哲学科に進学、翌年に経済学部に転部。
 ところが京大社会科学研究会での活動が治安維持法に違反するとして逮捕される。全国で三十八人が逮捕された、この学連事件は治安維持法適用の第一号でした。
 出獄後、代表作である「憲法の歴史的研究」を発刊し、民衆の立場に立ち、民衆の幸福を実現しようとする憲法学の必要性を主張。日本に初めて社会科学としての憲法学が生まれた瞬間でした。
 四五年、太平洋戦争が終結すると、ポツダム宣言の趣旨に沿った新憲法作りが始まります。
学者、ジャーナリストらで構成する「憲法研究会」に招かれ、鈴木安蔵中心に「憲法草案要綱」という草案をつくり、GHQに提出。
 その内容は①国民主権②象徴天皇制の提起③基本的人権の規定などであった。
 四六年GHQの提出したマッカーサー・ノートには天皇は依然として元首になっていたことからも「鈴木安蔵」案の先進性は疑う余地はない。

https://youtu.be/eO1DtOueucU

 この経過は鈴木安蔵を主人公とした映画「日本の青空」(DVD)が上映されており、多くの国民の理解となっています。
 安倍首相をはじめ改憲勢力は「押しつけ憲法」と攻撃していますが、歴史の事実は明白です。
 なお、二〇〇〇年にGHQの起草委員であったゴートン女史は国会の憲法調査会に招かれて「日本国憲法はアメリカがつくったものでも、日本がつくったものでもありません。
 歴史のえいちから生まれたものです」と語っています。
 鈴木安蔵の憲法案に大きな影響を与えたのは明治14年に土佐(現高知県)の自由民権運動のリーダーであった植木枝盛が起草した「東洋大日本国国憲按」です。
 この案にはすでに基本的人権、立法権の国民への帰属、人民の革命権の明記など驚くほど民主的な中身が盛られています。
 日本国憲法にはこうした自由民権運動以来の民主的憲法論の伝統、欧米の近代憲法の水脈が流れていることからも日本国民の願いがこもった憲法であることは明らかです。
(福島県9条の会ブックレットより)

1:46 (クリック)

憲法9条「私がマッカサーに申し出た」

23:27 報道ステーション昨年5月3日放送

見れば押しつけ憲法でないことがよく理解できます。

安倍さん見たか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

コメントフィード

トラックバックURL: http://jcp-kasiwara.org/hashimoto/archives/12606/trackback