日本共産党柏原市会議員 橋本みつおのブログです。

2020年11月

大県誕生から1,300年(3)なぜ大県なのか?

「県」は「あがた」と読み、古墳時代に各地の豪族が治めていた領地のことを「県(あがた)」と言いました。

領地を治める豪族を「県主(あがたぬし)」といい、近くでは「志紀県主」と呼ばれる豪族がいたことがわかっています。

志紀は現在の藤井寺市とその周辺になり、「大県主(おおあがたぬし)」とも呼ばれていました。

 

奈良時代には、地名はできるだけ良い文字を使うようにという指示が出されていました。

そのため、堅いという物事の状態を表す「堅」という文字よりも、支配する土地を表す「県(あがた)」を使用したのでしょう。

「大堅(おおがた)」に代わって、「おおがた」という読み方ができて、できるだけ良い文字を使った結果、「大県」となったのでしょう。

同じような例は、柏原市南部の「安宿(あすかべ)郡」にもあります。

「安宿」はもと「飛鳥部(あすかべ)」でした。奈良時代になって良い文字を使うようになった際に、できるだけ二文字にすることにもなりました。

そこで「安宿(あんすく)」という文字を使い、これで「あすかべ」と読むことになりました。

「安宿」には「住みやすいところ」という意味があり、これを採用したようです。

「大県」は志紀大県主に関連する地名であるという説が以前からあります。

たとえば、平凡社の『大阪府の地名』の大県郡の項目には、「『古事記』雄略天皇段に「志幾之大県主」のことがみえる。

この大県主は志紀郡の地方にいたように思えるが、生駒山地の南部には信貴山があることからすると、大県郡をはじめ高安・志紀両郡などを含めた信貴山山麓の地域が、古く志幾(志貴)とよばれていた可能性は高く、『古事記』にみえる志幾の大県主の本拠の地が、大県郡の地方であったかもしれない。」と書かれています。

 

しかし、その可能性は低いと考えられます。もともと大県(おおあがた)と呼ばれていたならば、「県下郡」「県上郡」で読みも「あがた」だったはずです。

「県」を「堅」という文字に変え、読み方も「かた」に変更するというのは考え難いことです。

また、大県郡と志紀県主を結び付けるような史料もありません。

志紀県主の本拠地は「志紀県主神社」のある藤井寺市惣社付近と考えるのが妥当でしょう。

奈良時代に採用された「大県」を古墳時代まで遡る地名とする根拠はなく、良い文字として「県」を使用したに過ぎないと考えるべきでしょう。

このように、「大県郡」の誕生だけでなく、「大県」という地名の誕生も720年だったと考えられます。

そして読み方も、奈良時代から現在まで一貫して「おおがた」だったのです。

柏原市ホームページより。

堅上郡と堅下郡

2ヵ所の集い

しんぶん赤旗の配達からスタートしました。

お月様が綺麗でした。

思ったより冷え込みもなく良かった。

朝から、大県事務所で資料を揃えました。(質問に答えられるように)

「橋本みつお議員とお話しをしよう」の集いが午前、午後と行いました。

検温、消毒にも気を付けました。

参加された皆さんからは、「国民健康保険料が高くなった」「社会保障の制度が悪くなってきている」等意見が出されました。

 

私からは、なぜ、そのようなことになるのか、税金の使い方と集め方のお話しをしました。

 

また、「孫と公園に遊びに行くが、トイレ🚾をつけて欲しい」の要望も頂きました。

 

早速、昨日仕入れたデンマークの話をしましたが、皆さん、感動されていました。

本郷事務所に行く途中のお家のイルミネーションです。

 

市民と野党の共闘で新しい政治を

月に一度の後援会実行委員会の取り組み日。

早起きをして、大県事務所へ。

市内のお宅を車で訪問しました。

 

午後からは、八尾市で大阪14区フォーラムが行われました。

神戸女学院大学の石川教授から、問題提起が行なわれました。

「菅自公政権にかわる野党連合政権を本気でめざして」

菅自公政権の政治の根本姿勢。

「自助、共助、公助」で命と暮らしは守れない。

政治の役割は、100%公助。

各政党からの発言があり、日本共産党からは、小松ひさし予定候補がお話ししました。

色々な課題が見え、今後の活動を考えるうえで、大変、有意義なフォーラムでした。

柏原市に戻ってからは、山間部へしんぶん赤旗日曜版の配達へ。

めちゃくちゃ寒かった。

 

「政治家を育てるのは、有権者」

2020年度第4回柏原市議会定例会

近鉄法善寺駅で宣伝をおこないました。

「こんにちは 橋本みつおです」を配布しながらのマイクでの宣伝しました。

いつもの朝より寒くなくよかったです。

 

2020年度第4回柏原市議会定例会が開会日でした。

12月22日までの26日間の会期です。 

 

私は、即日即決される予算案(議案第91号 令和2年度柏原市一般会計補正予算・第9号)に対し、自席から質疑しました。

なぜ、今日に提案され、可決しなければいけないのかというと、12月1日から警備員さんを配置させるためです。

 

提案理由は、「庁舎前駐車場出入り口付近における円滑な車両の動線及び歩行者等の安全確保の観点から警備員を1名分配置するための費用を計上するものである。」

 質疑答弁悪要約を紹介します。

質疑「具対的な警備員の業務内容は」 

答弁 「出口付近に配置し、車両が敷地内から退出する際に歩道上の歩行者、自転車が安全に通行できるよう配慮しながら、国道25線への円滑な左折退場を促す。」

 

再質疑 「警察とは、どうような協議がなされたのか」 

答弁 「国道のスムーズな流れに影響を与えない事、国道を走行中の車両を停車させない事、歩道の安全確保を行う指摘があった。」

 

再々質疑 「柏原市として、想定される懸念材料をお尋ねします」

答弁 「駐車場が今まで以上に混雑することが予想されます。」

 

意見・要望 「人身事故や車等の事故は、絶対にあってはならない。時間帯によっては、25号線も混雑もする。12月1日から様子を見ていく必要があるが、必要性に応じては、入り口付近にも警備員を配置したり、警察官に立っていただくことも含め、検討していただきたい」

 

私の質疑後、全会一致で可決されました。

その後は、他の23案件の提案理由説明が行われました。

 

本会議終了後、私の質疑を受けて、2人の議員さんから「私も聞きたいことがあった」と話されていました。

 

午後から、議会だより1月号の写真撮影が行われました。

こんなショットです。

私ではありません(こんなに背が高く、ほっそりしていません)

 

その後は、議案のチェック。職員さんに聞く箇所に付箋を貼りました。

同時進行で質疑・質問事項を考えました。

八尾空港が近いので真上に飛びます

今議会は、1人40分の個人質問が出来ます。

質問締め切り日は、12月2日(水)の正午までです。

市役所前大和川河川敷広場から

夕方からは、大阪14区対策会議が八尾で行われました。

12月の小松ひさしさんのスケジュール調整と活動内容を議論しました。

 

早起きに・・・・😥

早起きの習慣になってしまいました。

その分、しっかりと一般新聞(2時頃ポストイン)・しんぶん赤旗(5時20分頃)を読むことが出来ます。

特に赤旗記事は、twitterに投稿しています。

 

26日の記事です。

 

登校見守り活動。

太陽光が当たると温かく感じます。

人も車等も通らない時は、背筋伸ばし等をして体を動かしています。

 

市役所へ。

昨日の相談者の方と一緒に2人の職員さんに話を聞いてもらいました。

あっと言う間に2時間がたっていました。

親身になって聞いていただきありがとうございました。

 

午後からは、明日の本会議での即日即決議案に対しての質疑準備を行いました。

夕方からは、大県事務所の方と訪問を行いました。

 

12月1日からは、新庁舎外壁工事に伴い、新庁舎建設工事に伴う市役所信号機前出入口の閉鎖 

出来るだけ、河川敷駐車場をご利用ください、

12月1日より市役所駐車場が・・・

冷える朝の登校見守り活動。

 

橋の上で立ち止まる子どもの姿が・・

鯉が泳いでいました。

 

朝から市役所へ。

朝一番は、昨晩に連絡があった方の生活相談をうけました。

 

12月議会に向けての議会運営委員会を傍聴しました。

提出議案の説明がおこなわれました。

 

予算議案で即日即決される予算があります。

本会議の初日に議案提案があり、質疑の後に討論を省略し、採決します。

 

庁舎前駐車場出入り口警備業務委託料 283万3千円です。

12月1日より、新庁舎建築工事に伴い、現在信号機前の出入口が閉鎖になります。

市役所駐車場へ出入りは、信号のない出入口からになります。

そのため、歩行者の安全確保の理由のために警備員1名を12月~3月いっぱいまで配置するための予算です。

出口専用は、原則右折禁止なので混乱することも予想外されます。

本会議当日は、心配な点を質疑して意見する予定日です。

12月広報にお知らせされています。

市民の皆さんには、多大なご不便をおかけすることになります。

 

午後からは、江村じゅんさんと市政対策会議。

 

夕日からは、八尾の事務所で激論会議が行われました。

正直、疲れました。

Go To 天満🚶

少し冷え込む中での登校見守り活動になりました。

子どもたちは、みんな元気そうでした。

 

私の両親も12月で80歳になります。

最近は、足が弱り、杖をついて歩いています。

先日、孫のお宮参りに一緒に行き、私の生まれた頃の話題になりました。

「わしらが歩ける内に結婚して、暮らしていた場所を見ておきたい。」と言う話しになりました。

 

朝から私の車で両親と大阪市天満まで行ってきました。

天神橋筋商店街(日本一長い)の中にあるお店で働いていたようです。

父は、洋服屋。

母は、スーツ等にネームをいれるお店でした。

その距離が20m。

仕事上の関係でしりあったようです。

58年前の出会いのきっかけをはじめて知りました。

 

私が産まれた病院もありました。

少し迷いましたが、新婚当時、住んでいたアパート跡地も発見しました。

近くの扇町公園でよく遊んでいたらしいです。

記憶にありませんが・・・・

ゆっくり歩きながら、当時の話で盛り上がっていた両親でした。

 

私が3歳の時に柏原市に引っ越しました。

 

帰りは、嵐山・・・?と言いたいところですが、自宅から近くの瑠璃光寺へ。

紅葉がとても⤴️⤴️美しかった。

日頃、心配ばかりかけていますが、ほんの少しだけ親孝行が出来た気分です。

頼もしい新戦力🚲

勤労感謝の日でした。

午前中は、大県事務所の方と地域訪問をおこないました。

何度も訪問して会えなかった方に、お会い出来、色々とお話しが出来て良かったです。

大県事務所の担当地域の特色は、山間地域があることです。

自転車は、途中で降りて、坂を上っていました。

訪問しても、「はーはー」状態でした。

新しい新戦力が登場しました。

背景がブドウ🍇畑が柏原市らしいです。

お知り合いの方が来年の市会議員選挙まで貸してくれる事になりました。

初めて、電動自転車に乗りましたが、すごい⤴️⤴️です。

坂道もスイスイでした。

これからの訪問活動や山間地域の宣伝に大活躍してくれそうです。

 

午後からは、平地ばかりを担当する本郷事務所の方との訪問活動。

対話で「共産党は、何でも反対する。しっかり対案を示さなアカン。これでは、支持でけへん。」と言うご意見をいただきました。

有権者の方々には、そう考える人が多いのかとつくづく思いました。

 

党の姿が見えていません。

これからの活動の教訓にしなければなりません。

お宮参り

10月14日に産まれた、孫の百愛和(もあな)ちゃんのお宮参り。

 

藤井寺市の道明寺天満宮へ。

 

息子親子5人と曾祖父(私の父)と私ら夫婦の8人でした。

七五三も重なり多くの方が来られていました。

 

次々は、生後100日目頃の「お食い初め」そして、「初誕生日」と続きます。

以上、いい夫婦の日でした。

 

夜は、大県事務所の役員会に出席します。

平成元年にタイムスリップ

暑さも終わり平年並になりました。

午前中は、本郷事務所の方と地域訪問を行いました。

風もあり、寒かった。

対話をするなかで、「共産党は、ぶれないところがええ」「循環バスを地域に走らせて欲しい」等々と多くのご意見をお聞きできました。

 

午後からは、志位委員長のオンライン演説会を視聴しました。

思わず、「そうだ」と拍手でした。

でも、やっぱり生Cで聞きたかった。

これから、学術会議の内容になるときに、中断して、八尾市へ。

 

福祉後援会の集いに参加しました。

私も、平成元年に障がい者施設に就職しました。

当時は、今よりもっと余裕があったように思います。

低賃金、重労働の実態を聞くことができました。

特にコロナ禍での大変さを実感しました。

私も写真を用意して色々と話をしました。

次回の集いも参加のリクエストをいただきました。

最後の仕事は、しんぶん赤旗日曜版の山間部配達でした。

よう冷えてました。