障害者施設職員の処遇向上を
30日(木)は、図書館記念日。

しんぶん赤旗の配達をポツポツ雨の中2地域。
記事。
重大法案衆院通過 委員会で反対は共産党だけ/問われる野党の存在意義/国家情報会議設置 健康保険法改悪

登校見守り挨拶活動。

巷では、最大12連休のゴールデンウィーク。
1日雨だったので予定を変更して八尾の地区委員会に行って用事を済ませました。
ニュース原稿作りを行い、「議会と自治体5月号」の学習を行いました。
柏原市のホームページより。
明日から変わります。
最後は、金魚さんの新しい水槽等購入を含め、5か所の買い出しに行ってきました。
障害者施設の職員の処遇向上を
しんぶん赤旗の記事より。
橋本みつおは、16年間東大阪市の社会福祉法人の障害者施設で働いていました。
当時の知的障害者授産施設・身体障害者授産施設でした。
養護学校を卒業して障害が重いため一般就労が出来ない重度障害者の方に仕事を保障して賃金を支払う施設でした。
どんな重度の障害があっても成長できるとして、労働・生活支援、発達保障をしていました。
しかしながら、障害者福祉の制度がどんどん改悪されてきました。
しんぶん記事にある就労継続支援B型作業所に移行しています。
働く職員の労働条件も改善していく必要があります。
息子夫婦も八尾にある社会福祉法人の障害者施設で働いています。

2017年4月13日のブログより。
公園の前にあるのが、私が以前働いていた、ひびき福祉会の施設があります。
今日は、後援会の会計監査の仕事できました。
総会当日は、公務があり出席出来ません。
明日は、本来の仕事の給食組合の会計監査があり、藤井寺に行きます。
宇宙戦艦ヤマトの艦長ではありませんが、「すべてが懐かしい」かったです。
玄関を入るとポスターが貼られていました。
事務職員さんから、会計の説明をうけ、色々チェックをしたあと、名前をかき、印鑑をおしました。
色々な話しを聞きましたが、障害者施設の事業運営、働く労働者の実態は、本当に大変です。
私が働いていた時と比べてもより厳しくなっています。
すべては、国の政治の責任であることは、明白です
。
利用者の送迎用のマイクロバス。
私も、大型免許をとり、送迎業務をしていました。
運転中、サイドミラーを飛ばした事もありました。
施設の前にある、自動販売機。
監査を終え、時間があったので、施設見学をさせてもらいました。
懐かしい、職員さんや仲間達が働いていました。
特に、ひびき福祉会の利用者は、障害が重度の仲間が多く働いています。
私が働いていた時代と違った仕事をしていました。
みんな持っている力を出し、懸命に頑張っていました。
縫製班では、ミシンを使っての作業をしていました。
私が退職後に入所した職員さんや仲間も多くいました。
嬉しかったのが、12年もたつのに、私の名前を覚えくれている仲間が多くいました。
「久しぶり。何歳になったん。100歳ぐらいか」等言って、みんなで、爆笑していました。懐かしい
私はこんな冗談を言いながら、毎日楽しく仲間達と一緒に働いていました。
時には、歌い、踊り、跳ねたり、ゲームをしたり、山登りもしました。
どんなに重度の障害があっても、時間はかかりますが、人間は、成長することができます。
その中で、職員も成長出来るのです。
私の原点は、ここにあります。
ひびき福祉会本部をあとにして、私が退職まで作業していた、永和駅近くの施設にいきました。
「ウエス」の製造をしています。
古着等を裁断し、油等を拭き取るのがウエスです。
議員に立候補の話しがあった時も、私はウエスの営業をしていて、車の中で、悩んだ事を思いだしました。
多分20歳代の頃、障害者運動団体のイベントで、ペギー葉山さんのコンサートをしました。
なぜだか忘れましたが、司会をしたのが私でした。
慎んでご冥福をお祈りいたします。












コメントフィード
トラックバックURL: http://jcp-kasiwara.org/hashimoto/archives/99435/trackback