柏原ぶどう🍇の歴史
色々出会いのある登校見守り活動です。
子ども達は暑い中、ちゃんとマスクをして、登校しています。
高校の女の子によると夏休みは、9日(日)からだそうです。
バイクで収穫した枝豆をビニール袋(ごみ袋)を足元に置き走行し、近づいて来られました。
よく見ると、10mほど手前から破れたようで、線上になって枝豆を落としながら運転されていました。
気づいてお話をして一緒に枝豆を拾いました。
車も止まって待ってくれました。
10分後、わざわざ戻ってこられ「先ほどはありがとうございました、食べてください」と言われて枝豆をいただきました。
市役所控室での相談日でした。
新庁舎にコンクリートが流し込まれていました。
相談を受けていた件で、広報担当の職員さん、つながりで教育委員会のスポーツ振興課の職員さんとお話をしました。
別件では、相談していた国民健康保険料の件で担当課の職員さんが結果報告に来てくれました。
国の制度(収入が3割以上の減)が適応されて、保険料が0円になりました。
現段階で、130件ほど申請されているようです。
担当課長さん、「中には、収入がゼロの方もいらっしゃいます」とのことでした。
午後からは、久しぶりの上本町へ。
大阪府下の党議員の学習会が行われました。
石川たえ大阪府会議員からの報告。
たつみコータロー大阪府委員会コロナ関連対策本部長からは、「コロナから国民を守る大運動」「住民を守るあらたな制度について」のお話がありました。
参加された議員から多くの質問が出されました。
しっかりとお勉強が出来ました。
終了後、近くの「大阪社会福祉指導センター」に寄りました。
前職(障がい者施設職員)時代によく行きました。
福祉関係の仕事を紹介してくれます。
障がい者施設の手作り商品も紹介しています。
とても懐かしかった。
トイレにも展示されていました。
柏原ぶどうの歴史
明治11年頃、大阪府が沢田村(現藤井寺市)に設けた指導園で育成した甲州ぶどうの苗木を、堅下村平野(現柏原市)の中野喜平氏が栽培に成功したのがきっかけになって普及しました。
この点において、山梨県より歴史があると言われています。
大正時代は、第1次世界大戦後に好景気が続きぶどうの需要が増大し、昭和3年~10年には大阪府は全国で第1位のぶどう産地に発展しました。
その後第2次世界大戦中、食糧難や労力、肥料など生産資料が不足したため、減反しましたが、ぶどうは電波兵器に必要な酒石酸製造のため栽培されました。
戦後、昭和30年代から台風や高度経済成長の影響をうけ、また他府県産ぶどうの入荷もあり農家の経営面積も縮小。
それでも大阪府のぶどうは全国で9位の収穫高を誇り、主力品種のデラウエアの収穫量は全国第3位となっています。
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