多喜二の遺体囲む新写真見つかる(赤旗より)
先日のNHKの朝ドラ「マッサン」でエリーさんが特高警察に連行されようとしましたが・・・・。
国家権力の名でなんでもまかり通る時代が日本でもありました。今、秘密保護法や憲法の改悪の動きなど何か怖い気になります。
この記事を読んで改めて日本共産党の役割を感じました。
(写真)小林多喜二の遺体を囲む人々。中央=母・セキ、その左=弟・三吾(伊藤純さん提供)
20日は、作家の小林多喜二が虐殺されて82周年。この日を前に、多喜二の遺体を遺族が囲む新しい写真が発見されました。
特高警察に捕らえられた20日のうちに虐殺された多喜二の遺体は、21日夜、東京・馬橋の自宅に運び込まれます。プロレタリア文化運動の仲間たちが腕組みをして遺体を囲んでいる通夜の写真はよく知られています。
今回発見されたのは、同じ場所で母のセキさんや弟の三吾さんら肉親が写っているもの。撮影したのは、文化運動のメンバーとして活躍した貴司山治(きし・やまじ)です。息子で、プロレタリア文学研究者の伊藤純さんが、遺品の中から見つけました。
「父は、写真は素人ではなかったので、ブレのあるこの写真から動揺や恐怖感があったことがうかがえます。虐殺は、歴史的、客観的な事実として伝えられていますが、どんなに恐ろしいことだったかを再認識することになればいいと思います」と伊藤さんは語ります。
原板は、大判名刺の大きさのガラス乾板で、没後2年目の2月に開かれた多喜二をしのぶ会や、プロレタリア作家同盟創立大会(1929年2月)などの、これまで多喜二の写真集などに収められていたものと別のカットなどもあります。
多喜二・百合子研究会の副代表・大田努さんは、「当時の衝撃をなまなましく伝える写真で、文学・歴史の証言として意味があります。プロレタリア写真家同盟の責任者だった貴司山治の報道写真としても優れており、82年を超えて深い感銘があります」と語ります。小林多喜二 – Wikipedia(クリック