日本共産党柏原市会議員 橋本みつおのブログです。

日本共産党

インボイス制度って何⁉️

しんぶん赤旗の配達より。

中小事業所が廃業の危機。

零細事業者から消費税をむしり取る。

4日付主張より。

インボイス中止を

フリーランスの怒りの声聞け

来年10月からの消費税のインボイス(適格請求書)制度の実施中止を求める運動が広がっています。26日には、「インボイス制度を考えるフリーランスの会」主催で、東京・日比谷野外音楽堂に約1200人が参加して導入に反対するリレートークイベントが開かれました。同会が呼びかけているインボイスに抗議する電子署名も10万人を超えました。岸田文雄政権はこの声を聞くべきです。

若い人たちの未来奪うな

インボイスの導入は2019年、消費税率10%引き上げとセットで決定されました。

業者は客から受け取った消費税から仕入れにかかった消費税を差し引いて納税します。いま帳簿でおこなっている税の計算をインボイスですることが義務づけられます。

年間売り上げが1000万円以下は免税事業者とされ、インボイスを発行する必要はありません。

しかし、課税事業者である発注業者はインボイスが無ければ仕入れ分を差し引けず消費税の負担が増えます。

アニメーターなどのフリーランスが、規

模の大きな取引先の課税事業者からインボイスを求められれば断るのは困難です。

インボイスを発行する事業者は課税事業者となるので、売り上げが数十万円でも消費税を支払わなければならなくなります。

事務負担も重くのしかかります。同会は、「税率変更を伴わない消費税の増税。弱い人に負担を押し付ける」と批判しています。

26日のイベントでは、低収入のフリーランスの人たちが新たな負担を押し付けられることで声優などが辞めざるを得なくなる事態を危惧する発言が相次ぎました。「インボイスでアニメーションがなくなるかもと感じる。アニメーターは、実力をつけるまで時間がかかる。インボイスで若い人たちを台無しにされたくない」(アニメスタジオの社長)など切実です。

3人の声優が立ち上げた有志グループ「VOICTION」の調査の中間集計(9月29日)によると、声優の72%は年収300万円以下で、課税事業者となる1000万円以上はわずか5%です。「インボイスの発行がない場合、今後の取引をしないという通告が来た」などの声があがっており、23%が廃業を検討しています。

日本漫画家協会は、インボイスを発行できないと、発注元と漫画家との関係が悪化し、最悪の場合、「免税事業者であることを理由に取引が中止される等のリスク」もあると訴えます(7月の声明)。日本アニメーター・演出協会理事会も7月、「アニメ制作者と共に現場を支える制作会社をも運用コスト及び税負担の双方で痛めつけ、制作現場の環境を悪化させます」と反対を表明しました。

影響は広い人たちに

インボイスを発行する必要のある可能性のある業種は、小説家、脚本家、漫画家、イラストレーター、フリーライターなどのフリーランスなどとともに、小売店、飲食店、町工場、シルバー人材センターの会員など1000万人に及ぶ可能性があります。

政府はインボイス導入の口実に税率の違いをあげますが、現在も8%、10%で納税がおこなわれており、理由になりません。フリーランスの人たちなどを追い込むインボイスは中止すべきです。なにより消費税の減税が不可欠です。

「いいよ」の日 ー ひとり1人の思いは誰にも否定されることなく、どう思っても「いいよ」と受け止めるのが聴くということ。

4日(金)は、いいよの日。

 

ひとり1人の思いは誰にも否定されることなく、どう思っても「いいよ」と受け止めるのが聴くということ。

 

1人で駅宣伝をする予定でしたが・・。

気合が入らず断念(最近ずーとです😫)。

「いいよ」と思いたいけど・・・。

 

登校見守り挨拶活動。

 

いつも立て看板の橋本みつおが正面で微笑んでいます。

 

やっくん兄妹も早めに登校に登校。

妹さんは、お友達と一緒に登校していました。

頑張っています。

 

最近、うれしいことが。

 

障害がある若者が、JR志紀駅方面に徒歩で就労先へ。

いつも前を通る時に「おはようございます」と挨拶をしていましたが、スルーでした。

 

最近は、「おはよう」と挨拶してくれるようになりました🙌。

 

予定を変更してデスクワークにしました。

 

気合を入れるため、昨日10時30分から行われた「全国都道府県委員長会議」(市民表彰式典で視聴できず)を読みました。

下から2段目にこう触れられています。

地方自治体では、いまなお日本共産党以外の「オール与党」体制が支配的で、日本共産党の地方議員団は唯一の野党として住民の利益を守る立場を貫いて奮闘しており、その役割はきわだったものとなっています。

まさしく柏原市議会でも同様のことが言えます。

 

読み応え充分の長文でした。

頭は気合が入りました💪。

後は、心💚です。

全国都道府県委員長会議/志位委員長の幹部会報告

 

その後は、ニュース原稿作り。

文書を作るのは、ほんまに苦手です。

学校給食議会が開かれる

2日(水)は、阪神タイガース記念日。

 

登校見守り挨拶活動。

カーブミラーが曇っている時は、要注意です。

 

11月になり、クールビズが終わり議会があるので久しぶりのネクタイ姿。

 

今日は、声かけが多かった。

「後ろからトラックが来てるでー」「車が曲がって来るよ」等々せわしかったです。

 

皆んが通る高尾橋の下の恩智川では、鯉とカモの姿がありました。

 

やっくんは、昨日は、お休みを下みたいです。

今日は頑張って登校しました。

 

令和4年度藤井寺市柏原市学校給食組合議会第2回定例会が開かれました。

 

メインは、令和3年度決算認定の審議でした。

 

藤井寺市の木下ほこる議員と分担して質疑・要望を行いました。

 

話し合いの結果、先行は木下ほこる議員。

 

私は、3点について質疑しました。

 

①アレルギー対応

何らかの食物アレルギーがある、児童・生徒さんは118名います。

今年、視察に行った奈良県の三郷町では、最大40食のアレルギー対応給食を提供できていることを指摘しました。

1つ間違えれば、子ども達の命に関わる問題です。

②異物混入について

令和3年度は、全体件数が9件あり、その内給食センター由来と考えられるものが3件ありました。

調理職員さんの意識の問題と健康管理の必要性を指摘しました。

 

③給食調理場にクーラーが無い問題 

スポットクラーは、12台設置されています。

令和3年度も熱中症と思われる職員さんが3名いらっしゃいました。

 

三郷町の視察で学んだ、細菌の増殖を防ぐため、空調設備により室温度管理を徹底した「ドライ方式」の厨房になっていることを紹介しました。

センターは、現在ドライ運用です。

 

職員の命も守る観点からも、安心安全な学校給食を提供するためにも空調設備の必要性を要望しました。

 

日本共産党以外の議員さんは、発言がありませんでした。

全会一致で認定しました。

 

議会終了後は、給食の試食がありました。

自己負担260円です。

ブックメニュの献立でした。

 

長谷川義史さんは、藤井寺市の出身です。

 

午後からは、市役所へ。

 

観光バス3台で大和川の付け替えを学ぶ校外学習に来ていました。

お昼なので、河川敷で弁当を食べていました。

 

毎年、この時期に多くの小学校が他市から来られますが、この風景を見るとホットします。

縄跳びをしたり、鬼ごっこの様子も見ることが出来ます。

 

 

臨時会の議会準備と担当職員さんとヒアリングを行いました。

 

国が交付金の活用に条件をかけ縛られると実感。

もっと各自治体の裁量を優先させてほしい。

 

高尾山も少し、色づいてきました。

 

しんぶん赤旗より。

 

ブログの優れている点は、投稿検索機能があり、過去の投稿がすぐに検索できます。

 

今年の7月12日投稿です。

三郷町の給食センターの視察へ。

 

12日(火)は、人間ドッグの日。

 

そろそろ検診する必要があります。

 

雷⚡️が光った後は、雨の中でしんぶん赤旗を配達しました。

びしょ濡れになりました。

 

時間があったのでニュース原稿を作成しました。

 

登校見守り挨拶活動。

妹さんが先に、やっくんも早めに登校しました。

 

「一緒に行こう」と誘われましたが「まだ、後できやるから先に行っといてー」と登校してもらいました。

 

藤井寺市柏原市学校給食組合議会の視察でした。

奈良県三郷町の給食センターでした。

 

特徴は、防災拠点としての機能があります。

森町長さん自らがパワーポイントを使い説明をして頂きました。

 

町長の熱い、安全・安心な学校給食の思いが聞けました。

20以上の自治体の給食センターを今までに視察してきましたが、玉ねぎ(地元産)小屋🛖があるのは、初めてでした。

 

最後は、給食を試食させて頂きました。

 

美味しかったです。

新しい給食センターからは、学ぶ事が沢山あります。

 

最後に、三郷町のイメージキャラクターを紹介します。

たつひめです。

 

 

八尾市の予定候補者が勢ぞろい

23日(日)は、じゃがりこの日。

 

しんぶん赤旗2コースの配達を行いました。

4時30分ぐらいから小雨が・・・。

 

想定外・・・・。

配り終えることには止みました。

 

日本共産党の躍進の集いが扇町公園で行われました。

 

関西テレビの横です。

 

めちゃええ天気でした。

大阪府下の現職議員と予定候補者も登壇して紹介されました。

 

柏原市会議員団も江村じゅん議員と手を振ってご挨拶。

5000人の方の参加でした。

 

小池あきら参議院議員の話も熱い・暑い、力のこもったお話でした。

 

八尾市の予定候補者も勢ぞろいしました。

真ん中は、府会議員選挙に挑戦する小松ひさし元府会議員です。

 

八尾市の市会議員選挙は、定数が28から26に削減されます。

現有5議席を目指します。

エイエイオー。

来年4月の統一選挙

18日(火)は、冷凍食品の日。

子どもたちが学校に通っているときの弁当で大変お世話になりました。

 

見守り活動をせずに電車で大阪市内へ。

 

知ったことがありました。

JR野田駅と地下鉄野田阪神駅は、まったく違う場所に存在しています。

なんのこっちゃです。

 

日本共産党大阪府委員会主催の選挙対策指導部研修会に出席しました。

9時30分から16時までのみっちりの勉強会でした。

 

党中央(東京)の選対局次長の方から「6中総決定(専門用語)を力に、統一地方選挙をどうたたかうか」と題し、お話がありました。

色々と考えさせられました。

 

次に、大阪府委員会の選対部長からリアルなお話がありました。

公職選挙法についても学びました。

 

手作り弁当(残りご飯に梅干しと漬物だけ)を食べた後は、隣の公園で休憩。

 

午後からは、質問や要望・意見が出されました。

私からも大阪府会議員選挙について質問を行いました。

後半戦の選挙では、大阪府下43自治体中、17市4町の議員選挙が戦われます。

これから、忙しく(充実)しなければなりません。

 

前回選挙選(前半の府会議員選挙)のブログです。

懐かしい・・・・。

よかったら2019年4月のブログをご覧ください。

 

カジノ阻止へ奪還誓う小松ひさし(後3日)

本日(4日・木)は、しんぶん赤旗の早朝配達からスタートでした。

久しぶりにパッチを履きました。

4時すぎは、冷え冷えでした。

 

その後は、近鉄法善寺駅で後援会の皆さんと宣伝を行いました。

知事には、「小西ただかずさん」。

午前中は、母校である堅下北小学校の入学式に出席しました。

新たに39人のピカピカの1年生が、北小っ子になりました。

 

事務所から徒歩1分のところに桜並木があります。

午後からは、八尾へ。

夜の2ヶ所の個人演説会の段取りから始めました。

久宝寺コミセンと志紀コミセンでした。

おかげさまで八尾の道も詳しくなってきました。

 

時間に余裕があるときは、SMS拡散作戦。

ライン・フェイスブック・Twitter・インスタで配信しました。

多くの皆さんに支えられている選挙戦です。

私の地元支部の皆さんも色々と本当に頑張ってくれています。

私も勇気づけられます。

 

ライトアップ前。

ライトアップ後。

小松ひさしさんも元気よく「拡げて欲しい」と訴えていました。

おち妙子市会議員も「皆さんのお力を・・・」

2ヶ所の演説会は、時間との勝負です。

最後の会場は、小松ひさしさんのお話もついつい長くお話されていました。

しんぶん赤旗に小松ひさしの記事がありました。

明日5日(金)は、山下よしき参議院議員が応援にきます。

 

学校給食は国の責任で無料に

8日(土)は、世界渡り鳥デー。

 

しんぶん赤旗の配達からスタート。

日に日に気温が下がっています。

 

その後は、しんぶん赤旗日曜版の配達を2コース。

 

一段と山間部は、冷え込みます。

 

午後からは、後援会役員会が行われました。

 

9月議会の報告を行いました。

 

参議院本会議で小池書記長が代表質問を行いました。

その1つに給食の無料化を要望しました。

 

岸田首相の答弁は、残念な内容です。

 

柏原市の中学校の給食費は、月4700円です。

 

国葬”―異様な安倍礼賛 

29日(木)は、招き猫の日。

 

「くる(9)ふ(2)く(9)」(来る福)

 

昨晩は、バレー(記憶では、1セット中)の試合を見ながら寝てしまいました。

その分、変な時間に起きてしまい、そのまましんぶん赤旗の配達へ。

 

登校見守り挨拶活動。

 

やっくん兄妹さんも早めに元気よく登校していました。

 

しんぶん赤旗より。

岸田内閣は27日、安倍晋三元首相の「国葬」を強行しました。

「国葬」で岸田文雄首相は何を語ったのか―。岸田首相は、安倍氏への弔辞で「歴史は、(在位の)長さよりも事績によってあなたを記憶する」と述べ、「あなたが敷いた土台の上に、持続的で、すべての人が輝く包摂的な日本を、地域を、世界をつくっていく」と「誓い」を立て、「日本と世界の行く末を示す羅針盤」とまで安倍氏を持ち上げました。安倍氏がピアノ演奏する姿を基調とし、その足跡と政治的成果を総まくりする8分間のビデオ映像も流されました。

■□ 「国葬」は「故人に対する弔意と敬意を国全体としてあらわす儀式」(岸田首相)と位置付けられてきましたが、安倍氏の葬送というより、安倍政治の礼賛とその継承の誓いを「国全体として」確認する場とされました。

岸田氏があげた安倍氏の「事績」とは、改憲手続法の制定、防衛庁の「省」昇格、教育基本法の改定、平和安全法制(安保法制)・秘密保護法の制定、日米同盟の強化など「戦後レジームからの脱却」の推進であり、2度にわたる消費税増税など財界奉仕の政策の実行でした。

これらの「事績」は、国会での多数を頼みにした民意不在の改憲の動き、明文改憲が困難と見るや解釈・立法で憲法を壊す立憲主義破壊、国民生活破壊の消費税増税など、どれも激しい国民の抵抗と抗議を呼び起こしたものばかりです。その礼賛=「敬意」を「国全体として」共有するとして、一方的に国民に押し付けるのは、憲法19条の思想・良心の自由を侵害するものです。

「国葬」では、政府が「弔意の表明を求めない」などとされました。現実には、衆参両院や最高裁、各省庁や多くの地方自治体で半旗掲揚が行われました。大規模な政治、社会の動きは、個人に弔意を強制する事実上の大きな力として働きました。

「国葬」は安倍礼賛=「敬意」と弔意を個人に強制し、思想・良心の自由を侵害する違憲の行事となりました。

また、なぜ安倍首相だけを特別扱いするのかという憲法の平等原則違反の問題も、最後まで合理的理由は説明されませんでした。「国葬」は二重、三重の違憲という深刻な問題を残しました。

■□ 27日には、国会前をはじめ、全国各地で「国葬」強行に抗議する集会やデモが取り組まれました。その怒りの根底には、憲法を壊し、民主主義を壊し、国民生活を壊してきた安倍政治への巨大な怒りがあります。岸田首相が安倍氏の「死」を政治利用し、「安倍政治の継承」を掲げる自らの政治基盤を強めようという狙いは多くの国民に見抜かれています。

岸田首相が進める「敵基地攻撃能力の保有」と新たな解釈改憲、「軍事費2倍化」の動きも、安倍氏が強く唱道してきたものです。「国葬」強行に対して広がったたたかいは、こうした岸田政権の危険な政治を阻み、安倍政治を終わらせるたたかいへと大きく発展していこうとしています。

 

「異次元の金融緩和」は完全に破綻(43名)

23日(金)は、夕陽の日。

目的がええな😀。

 

東大阪市の支援デーでアンケート配布の予定でした。

 

カッパやタオル等を用意して気合いを入れていましたが・・・・。

雨のため、無理しなくてもよいと連絡が入りました。

 

急遽予定していた党員さんに電話を入れました。

 

気合いが抜けて、脳休めの日にしました。

日本日本共産党の志位和夫委員長は22日、国会内で記者会見し、日銀が同日の金融政策決定会合で「異次元の金融緩和」の維持を決定し、1ドル=145円を超える24年ぶりの異常円安を更新したことについて、「『異次元の金融緩和』政策を維持すれば、異常円安がさらに進み、物価高騰がさらに進むことは分かり切ったことだが止めるに止められない。これが現状だ。金融政策が完全に手詰まり、破綻に陥っている」と批判しました。


写真

(写真)記者会見する志位和夫委員長=22日、国会内

 その上で、金融政策がなぜ手詰まり、破綻に陥ったかについて、「日本が『賃金の上がらない国』から抜け出せない。ここに最大の原因があることは明らかだ」と強調。現状を打開するためには二つ必要なことがあると指摘しました。

 一つは政治の責任で本気になって賃上げのための実効ある政策をとることです。

 志位氏は「これまでの『賃上げ減税』では、多くの赤字でがんばっている中小企業に減税の恩恵が届かない。これではまったく賃上げの役に立たないことは事実が証明している」として、「中小企業に対して社会保険料の減免を中心に賃上げのための思い切った財政出動を行う。中小企業で働く人々の賃上げを政治主導で進めることが必要だ」と主張しました。

 また、日本共産党が大企業の内部留保への時限的な課税を行い、10兆円の財源で中小企業支援を行うよう提案してきたことをあげ、「まさにこれが待ったなしになっている。中小企業、大企業の労働者双方の賃上げにつながる、そういう実効ある賃上げ政策をただちに打つ必要がある」と語りました。

 もう一つは、物価高騰から国民の暮らしを守ることです。

 志位氏は「実効性のある緊急対策をただちに行うことが必要だ」と強調。「政府が出しているメニューのようなごく一部の人たちに5万円1回こっきりのものを配るというのでは、まったく対策にならない」と批判し、「私たちがかねてから言っている消費税5%への減税に踏み切るべきだ」と訴えました。また、10月から実施予定の75歳以上の医療費窓口負担の2倍化については「中止することを強く求める」と訴えました。

高齢者に優しい社会つくろう(12名)

19日(月)は、敬老の日。

 

しんぶん赤旗の配達からスタート。

生暖かい風が吹いていました。

 

午前中は、後援会ニュースを2地域配布しました。

 

坂道が多い地域もあり、日頃の運動不足を実感。

 

汗だく💦なりました。

午後からは、委員会対策をするもなかなか進まず😂。

 

午後4時時点での避難所開設。

 

 

しんぶん赤旗の配達の主張より。

敬老の日

高齢者に優しい社会つくろう

きょうは「敬老の日」です。高齢者がこれまでの人生経験や持ち味を発揮して、個性豊かに過ごしている姿は、次の世代にとって励みになっています。長年にわたり人生を重ねてきた方々に心から感謝し、お祝い申し上げます。

いくつになっても安心して暮らせる高齢者に優しい社会にするために、政治の役割が重要です。

長寿社会の土台を崩すな

今年、全国で100歳以上の人は9万526人となり、初めて9万人を超えました。52年連続で過去最多を更新しました。世界有数の長寿社会へと発展してきたことは、医療や公衆衛生など命と健康を守るさまざまな仕組みの拡充をめざし、改革を求めてきた多くの国民の努力のたまものです。

一方、2021年の日本の平均寿命は男性81・47歳、女性87・57歳と若干前年を下回りました。厚生労働省は、コロナ拡大の影響を指摘します。コロナ禍は、政府の後手と無為無策が重なり、多くの高齢者が感染し、命も奪われました。感染症に強い医療・保健・検査の体制をつくることが、長寿社会の土台であることを改めて浮き彫りにしています。

高齢者が安心して医療を受けられるようにすることも大切な課題です。岸田文雄政権が10月から、75歳以上が加入する後期高齢者医療制度の窓口負担(現在原則1割)に、初めて2割負担を導入することは重大です。約370万人が負担増の対象です。昨年の国会では負担が「2倍化」すれば、大規模な受診抑制を招くことが明らかになりました。お金を気にして病気がちな高齢者が受診を我慢すれば手遅れになり、命にかかわる危険につながります。

収入の大きな支えである年金は4月から引き下げられています。すでに深刻化している生活必需品の値上げは秋以降、さらに加速すると予想されます。高齢者の暮らしに追い打ちをかける「2倍化」は中止を決断すべきです。

欧州諸国では、医療費窓口負担は無料やわずかな定額が主流です。日本でも1973年から83年まで、国の制度として70歳以上の医療費を無料にした歴史があります。70歳以上の窓口負担を全て1割にし、将来的に「窓口負担ゼロの制度」へ前進することが求められます。年齢で差別する後期高齢者医療制度の廃止も欠かせません。

自民党政権や財界は“日本の社会保障給付は高齢者に偏っている”かのように描きます。しかし、日本は欧州諸国と比べ高齢化が進んでいるのに、それらの国々より社会保障費全体が少ないことが問題です。世代間の対立をあおって、社会保障費削減を進めることは許されません。高齢者を粗末に扱う政治に若者は希望を持てません。

二度と戦争繰り返さない

日本の敗戦から77年を迎え、戦争の惨禍を直接知る人の体験を引き継いでいくことも大きな課題です。広島・長崎の被爆者、沖縄戦の体験者、東京大空襲をはじめとする民間の被害者らは、いまロシアのウクライナ侵略が招いた悲劇を自らの体験と重ね合わせて心を痛め、平和への声を上げています。改憲・大軍拡を進める岸田政権への不安を募らせています。

高齢者が語る戦争体験に耳を傾け、思いを受け止め、憲法9条を生かした平和の取り組みをさらに進めることが不可欠です。

未来ひらく大きな党を(21名)

18日(日)は、かいわれ大根の日。

 

しんぶん赤旗の配達からスタートしました。

 

日曜日なので2地域の配達でした。

 

色々とやることはありますが・・・。

睡眠不足復活の取り組みを行いました。

 

寝ました。

明日、頑張りまーす。

 

志位委員長が記念講演 日本共産党創立100周年記念講演会 記念講演 志位和夫委員長

4氏からメッセージ

日本共産党は17日、党創立100周年記念講演会を党本部と全国をオンラインでつないで開催しました。志位和夫委員長が「日本共産党100年の歴史と綱領を語る」と題して講演。日本共産党の100年の歴史を貫く三つの特質と一体に、現綱領の一つひとつの大切な内容が、どのような歴史的経過でつくられてきたのかを語り、「未来をひらく強く大きな党をつくるために力をそそぐ決意を、固めましょう」と呼びかけました。沖縄県知事の玉城デニーさん、劇作家・演出家の永井愛さん、小説家・法政大学教授の島田雅彦さん、俳優の仲代達矢さんからのメッセージが紹介されました。記念講演は全国各地の視聴会場で多くの人が視聴し、ユーチューブでの視聴者は延べ4万7516人にのぼりました。


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(写真)講演する志位和夫委員長=17日、党本部

志位氏は冒頭、メディアから「なぜ100年間続いたのか」という質問が寄せられたことを紹介し、「一つの政党が1世紀にわたって生命力を保ち、未来にのぞもうとしていることの意義は小さくない」と強調。その上で、日本共産党の100年を貫く三つの特質を語りました。

不屈性

第一の特質は、どんな困難のもとでも国民を裏切らず、社会進歩の大義を貫く不屈性です。

志位氏は「ただやみくもに頑張るのでなく、科学の立場で社会発展の先々の展望を明らかにする先駆性と一体になった不屈性こそが、日本共産党の特質です」と強調しました。

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(写真)記念講演をする志位和夫委員長=17日、党本部

志位氏は、戦前の党の歴史における不屈性は、天皇絶対の専制政治――絶対主義的天皇制の変革に正面から挑むという姿勢と一体のものだったと指摘。天皇絶対の専制政治は、日本社会の発展の最大の障害物だったとして、「日本共産党の誕生は、天皇絶対の専制政治の変革に、科学的社会主義の立場に立って、正面から取り組む政党が、日本に初めて現れたという歴史的意義をもつものでした。それは侵略戦争反対、国民主権の実現など、平和と民主主義の問題でも、これに正面から真剣に取り組む政党が初めて現れたという国民的意義をもつものでした」と語りました。

このたたかいの中で、戦前の先輩たちが迫害によって命を落としたこと、その中には若い女性の不屈のたたかいもあったことを述べた志位氏は、当時の弾圧法・治安警察法によって女性の政党への加入が禁止されるもとで、「日本共産党は、この時代に、多くの女性党員をもち、女性党員の誇るべきたたかいを歴史に刻んだ唯一の党だったのです」と述べました。

弾圧によって党中央の活動は中断に追い込まれたものの、その期間も、「戦後の新しい社会を準備する豊かな営みも生まれた」として、獄中にいた宮本顕治さんと、その妻の百合子さんの12年のたたかいを詳しく紹介しました。

続いて、戦後の党の不屈の歩みを支える画期となったのは、1961年の第8回党大会で確認した綱領路線――民主主義革命を当面の任務とし、社会主義的変革にすすむという路線だったと強調。5年にわたる綱領論争を経て、8大会で「反帝反独占」の民主主義革命――異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破を戦略的任務とした意義を述べ、「とりわけ、米国の対日支配の打破を革命の戦略的課題にしっかりとすえたことは、その後のわが党の不屈のたたかいの最大の支えとなりました」と語り、その後の歴史が61年綱領の正しさを証明したと指摘しました。

その上で、「沖縄の不屈のたたかいの歴史をお話ししたい」として、来年は、沖縄人民党が日本共産党に合流して50年の節目となると強調。沖縄人民党のリーダーを務め、日本共産党副委員長をつとめた瀬長亀次郎さんの不屈のたたかいについて語りました。不屈の闘争の根本には科学の力があったと述べ、沖縄のたたかいと「日本共産党の61年綱領との深い理論的な響きあいがあった」ことも紹介しました。

志位氏は、61年に確定した綱領路線は今日、大きな力を発揮しているとして、ロシアのウクライナ侵略を利用した改憲・大軍拡推進の大逆流に対し、日本共産党が不屈にたたかい、押し返してきた土台には「61年前に打ち立てた綱領路線の生命力が脈打っています」と力説しました。

自己改革

第二の特質は、科学的社会主義を土台にして、つねに自己改革の努力を続けてきたことです。

志位氏は、「日本共産党に対して『無謬(むびゅう)主義』―“誤りを決して認めない党”という攻撃が繰り返されています。しかし、これほど的外れのものはありません」と批判。党の歴史の中には、誤りや歴史的制約もあるとして、「それらに事実と道理に立って誠実に正面から向き合い、つねに自己改革を続けてきたことにこそ、最大の生命力があります」と語りました。

志位氏は、100年の歴史を通じて、党の最大の危機は、1950年に旧ソ連のスターリンと中国によって武装闘争をおしつける乱暴な干渉が行われ、党が分裂に陥った「50年問題」だったと指摘。この危機を乗り越える過程で、大きな自己改革を遂げてきたと語りました。

終戦直後の時期まで、党にはソ連や中国のやることには「間違いはない」という認識があったとして、「そうした認識を、わが党への乱暴な干渉と党の分裂という最大の誤りを解決していくなかで、大胆に乗り越え、自主独立の路線――日本の党と運動の問題は、日本共産党自身がその責任で決定し、いかなる外国勢力の干渉も許さないという路線を確立していきました」と語りました。自主独立の路線は60年代以降も旧ソ連、中国・毛沢東派による干渉に反対する闘争の中で、全党が国際問題の論文を徹底的に読むなどして全党の血肉になったと語り、「干渉と正面からたたかいぬき、打ち破ったことは、国民的意義をもつものではないでしょうか」と述べました。

志位氏は、「自主独立の路線のうえに、この60年余、綱領路線の大きな理論的・政治的発展をかちとってきた」と強調。その発展がどれも生きたたたかいの中でかちとられたものだとして、(1)アメリカ帝国主義論の発展(2)“議会の多数を得ての革命”――選挙で国民の多数の支持を得て平和的に社会変革を進める路線(3)党綱領の世界論の大きな発展と野党外交(4)社会主義・共産主義論(未来社会論)の画期的な発展―の4点について、どういう経過を経て達成されたのかを詳細に語りました。

この中で、“議会の多数を得ての革命”に関わって、「50年問題」で分派が干渉者の言うままに武装闘争方針を押し付けたことについて、1956年6月の中央委員会総会(「6全協」・7中総)で、「議会を通じて、平和的に革命を行うことが可能となった」と明記するとともに、分派がつくった武装闘争方針の土台となった文書(「51年文書」)を日本の現状に「適合しない」ときっぱり否定したと指摘。これを契機に綱領討議が正式に始まったとして、「武装闘争方針の否定こそが61年綱領を確立する出発点でした」と強調しました。

また、野党外交と世界論について、欧州など発達した資本主義国の左翼・進歩党などの現状に触れ、「野党外交の新しい発展方向として発達した資本主義国の左翼・進歩政党との交流と協力の新たな発展をはかりたい」と表明しました。

その上で、「この理論的・政治的達成は、自主独立の立場であらゆる覇権主義とたたかい続けた全党の奮闘によってかちとった成果です」と強調しました。

「日本共産党は党の活動と組織のあり方においても、自己改革を重ねてきました」と語った志位氏は、党が「50年問題」の総括にたって、いかなる事態のもとでも党の統一と団結を守る民主集中制の原則を守り、発展させることが大切だという教訓を引き出したと強調。日本共産党が党大会において民主主義をどのように貫いているかについて詳しく語り、「民主集中制に対する攻撃は、わが党の民主的運営の生きた実態や、自己改革能力を見ようとしない不当な独断に満ちたものです」と批判しました。

統一戦線

第三の特質は、国民との共同――統一戦線で政治を変えるという姿勢を貫いてきたことです。

志位氏は、61年綱領が確定した後の60年余りは、「『政治対決の弁証法』と呼ぶべき支配勢力との激しいたたかいの連続でした」と指摘。日本共産党が躍進した三つの時期を振り返りながら、支配勢力との攻防の歴史を語りました。

第一は60年代末~70年代の躍進です。その特徴は、60年代に粘り強く続けられた党建設の飛躍的発展を土台の上に実現したことでした。志位氏は、それに危機感を募らせた支配勢力が反共キャンペーンを開始し、80年の「社公合意」により、日本共産党を除く「オール与党体制」がつくられたと指摘。しかし、共産党は「無党派」との新しい統一戦線運動に取り組んだとして、革新懇運動の歴史的意義を語りました。一方で、「オール与党体制」の腐敗政治の中で、共産党が選択肢として浮上し、これを恐れた支配勢力は新たな戦略として、小選挙区制の強行と保守の「二大政党制」づくりをすすめたと指摘しました。

第二は、90年代後半の躍進です。この時、党史上最高の峰に躍進しましたが、同時に党の政治的影響力の急拡大に、実力が追い付かないという課題もありました。志位氏は、この躍進に対し、今度は財界主導で「自民か、民主か」という「二大政党の政権選択」が押し付けられ、「最大・最悪の厳しい逆風として作用しました」と指摘。この最も苦しい時期にも統一戦線を発展させる新しい努力と探求を続けたとして、草の根の革新懇運動や「一点共闘」が各分野で広がったと述べました。

第三は、2010年代中頃の躍進です。「二大政党の政権選択」が崩壊するもとでの躍進でしたが、ここでも「実力以上の躍進」と総括し、党の実力とのギャップを埋めねばという奮闘が続けられました。党は、安倍政権による安保法制の強行に反対する国民運動が大きく発展する中で、「市民と野党の共闘」という新しい挑戦に踏み込みます。志位氏は、支配勢力の攻撃は熾烈(しれつ)なものとなり、17年、21年の総選挙では野党共闘攻撃・反共攻撃が行われたとして、「この攻撃は支配勢力がいかに共闘を恐れているかを強く実感させました」と指摘。「この攻防は現在進行形です。次のたたかいで必ず反転攻勢を」と訴えました。

志位氏は、反共キャンペーンと暮らし・平和破壊の政治は一体だとして、「国民こそが最大の被害者です」と強調。「反共と反動のくわだては、その一歩一歩が、自民党政治と国民との矛盾を広げ、その行き詰まりを深刻にしています」と述べ、「大局的・客観的に見るならば、日本はいま新しい政治を生み出す『夜明け前』となっているといっても過言ではありません」と強調。日本共産党を躍進させてこそ、新しい政治を生み出す「夜明け」が現実のものになると訴えました。

その上で、「その最大の力、保障となるのが、強く大きな日本共産党を建設することです」と強調。現在の党の発展段階と客観的条件を60年代中頃と比較してとらえたときに、巨大な変化があるとして、(1)綱領路線の発展(2)自民党政治の行き詰まり(3)日本共産党の政治的影響力の大きさ(4)国際政治で“主役交代”が起きている――の四つをあげました。「この巨大な変化を生かして、未来をひらく強く大きな党をつくるために力をそそぐ決意を、党創立100周年にあたって固めよう」と呼びかけました。

次の100年へ

最後に志位氏は、日本共産党が社会主義・共産主義をめざす革命政党であり、「革命とは平和的で合理的な、同時に、根本から社会変革を進めることです」と強調。「だからこそわが党は、支配勢力の攻撃につねにさらされてきました。100年を振り返り、順風満帆な時期はひと時もありませんが、支配勢力による攻撃は、わが党が革命政党であることの証しです」と述べ、100年の歴史で発揮された特質を新しい時代に発展・継承し、希望ある未来をひらくためにともに奮闘しようと呼びかけました。