日本共産党柏原市会議員 橋本みつおのブログです。

命名 わたなべ「結」の由来

 

「命名 結」

1981年2月26日。この年一番の寒気で冷え込んだこの日午後、住吉区内の産院で結さんは産まれました。
気道に水が入ったためか出産直後はむせていましたが、看護師さんの処置を受け、すぐに「オギャー」と元気な泣き声を上げました。
「あぁ良かった!」
ほっと胸をなでおろした母親は、まだ濡れていた小さな赤ちゃんの頭にそっと手を置きました。そして育児ノートにこう記したのです。
「とても愛おしい」
漢字1文字、「糸偏」の名前がいいねと決めていた両親は、辞書を引きながら相談しました。
そして1週間後。眼下を南海電車がひっきりなしに走り抜ける住吉大社近くのマンションで、すやすやと寝息が聞こえる部屋に「命名 結」の筆書きが飾られました。
「仲間と手をつなぎどんな困難も乗り越える、そんな人間に育ってほしい。そして大切なものを未来につないでいってほしい」

 

誇りある生き方を

結さんが以前、母親にもらった絵本『子どもにつたえる日本国憲法』の前書きで、著者の井上ひさしさんが、『2度と武器では戦わない』と誓った戦後の新しい憲法の覚悟について、次のように書いていました。
「…これは途方もない生き方ではないか。勇気のいる生き方ではないか。日本刀をかざして敵陣に斬り込むより、ずっと雄々しい生き方ではないか、度胸もいるし、知恵もいる…」
京橋駅前の演説で、結さんがこう演説を結びました。
「日本国憲法が示した生き方のように、勇気を出して、暴力を振りかざすのではなく、対話でつながって声を上げ続ける。

そうした『とてもむずかしいけれど、人として誇らしい生き方』を貫く国民の不断の努力によって、憲法がより身近で生きたものになり輝いていくのだと思います。

多くの皆さんと力を合わせ、憲法を守り抜き、その憲法を手に、国民が主人公の新しい社会をつくるために生かしていきたい」

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