日本共産党柏原市会議員 橋本みつおのブログです。

「国葬」今からでも中止を 森友問題で尊い命が失われました

27日(火)は、女性ドライバーの日。

 

今まで柏原市の感染者数をお知らせしてきましたが、大阪府では、27日は発表分から全数把握を簡略化し集約方法を変更。

市町村別の患者数の公表がなくなりました。

 

少し汗ばむ中での登校見守り挨拶活動。

 

みんな傘を持って登校していました。

 

ななんと。

やっくんが7時58分に登校してきました。

「めちゃくちゃ早いやん」「急いでるねん」

 

そのあと、妹さんも8時2分登校してきました。

みんなとそして出勤途中の方々と挨拶を交わすことで元気をもらっています。

 

森友問題は、解決していません。

1人の尊い命が失われました。

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(写真)記者会見する小池晃書記局長=26日、国会内

 

日本共産党の小池晃書記局長は26日、国会内で記者会見し、安倍晋三元首相の「国葬」の強行について問われ、「私たちは『国葬』は憲法違反だと指摘してきた。今からでも中止を決断すべきだ」と述べました。

小池氏は、岸田文雄首相が22日に米ニューヨークでの記者会見で「説明が不十分であるという批判を真摯(しんし)に受け止めなければいけない」と述べたことをあげ、「世論調査(朝日新聞)では首相の説明に『納得できない』が64%で『納得できる』の3倍近くだ。真摯に受け止めると言うなら中止以外にはあり得ない」と述べました。

小池氏は「『国葬』で安倍氏だけを特別扱いするのは、憲法が定める『法の下の平等』に反し、国民に弔意を強制するのは憲法の『思想及び良心の自由』を踏みにじるものだ」と強調。16億6000万円もの巨額の費用にも批判が高まっていると指摘しました。

また、弔問外交のための「国葬」といいながら、主要7カ国(G7)の首脳は一人も参列しない一方、国内で弾圧を行っているミャンマー国軍の代表を招待しているとも批判しました。

小池氏は、「岸田首相は『民主主義を断固として守りぬく決意を示す』と述べているが、世論調査を見ても反対の声が日増しに増えている。こうした中で『国葬』を強行することこそ、民主主義を踏みにじることになる」と批判。「民主主義を守りぬくと言うのであれば、今からでも中止を決断すべきだ」と重ねて強調しました。

さらに、統一協会と自民党との癒着の頂点にあったとされる安倍氏との関係の調査もせずに「国葬」を強行しようとしていることも、「国民が反対の声を上げている大きな理由の一つではないか」と指摘。岸田首相が調査に「限界がある」としているが、「何もやらずに『限界がある』と言われても納得できない。“安倍氏が亡くなったので心の中はわからない”というが、調べるべきは『心の中』ではなく事実関係だ」と述べました。

 

 

「クリーンピア21」の存続を求める請願が不採択に(21名)

26日(月)は、核兵器の全面的廃絶のための国際デー。

 

超早起きをして、しんぶん赤旗の配達からスタート。

終了後は、本日開催される厚生文教委員会対策を時間ギリギリまで行いました。

 

計画的にやっとけよ・・・の話ですわ。

 

急いで市役所へ。

ええ天気でした。

 

厚生文教委員会は、10項目を審議しました。

 

準備していた内容については、気持ちを込めて話し(要望・指摘)することができました。

 

委員会の最後は、江村議員が紹介議員になった「クリーンピア21」の存続を求める請願を審査しました。

江村議員から請願の説明があったのち、江村議員に対して各議員から質疑が行われました。

始まる前から、緊張していましたが、しっかりと答弁されました。

 

私からは、(採択するため)紹介議員になった理由とクリーンピア21の果たしてきた役割の質疑をし答弁を求めました。

打ち合わせ通りの展開です。

 

その後は、職員さんに対し質疑が行われました。

 

私は、江村議員・職員さんの答弁から、

請願項目1,「クリーンピア21の廃止条例をやめ、1年でも長い存続を求めます。」

2,「市民や利用者に説明会、公聴会を開いてください。」は、ともに請願の願意があるとし、採択をすべきであるとしめくくりました。

 

審議の結果は、私だけが採択。

その他の議員は、すべて不採択という結果でした。

 

起立採決で、賛成の立場で起立することは、珍しいことです。

普段は、起立採決で他の議員が賛成で起立し、反対の立場で着席が多い。

 

委員会終了後は、慌て帰宅して私用で東大阪市まで行ってきました。

 

今から朝顔(テレビ番組)を見ながらご飯を食べて、目を通すことができなかったしんぶんを読みます。

 

大変、疲れた1日でした。

とりあえず、やれやれです。

難儀してます(31名)

25日(日)は、山田邦子の日。

 

懐かしいー。

ショッピングチャンネルに出演されてますね。

 

しんぶん赤旗の配達のために本郷事務所に。

 

日々、早朝は冷え込んできています。

 

終了後は、大県事務所へ。

 

2コース目の配達です。

 

お尻に火が付きました。

 

日中は、明日に迫った、厚生文教委員会の最終準備を行ってますが・・・。

なかなか進まず難儀してます😫。

 

秋を感じました🌰🍇(11名)

24日(土)は、世界ゴリラの日。

 

いつもより早や起きして、しんぶん赤旗の配達からスタート。

終了後、身支度をして、6時に大県事務所へ。

 

月に1度の後援会実行委員会の取り組み日でした。

2コースに分かれて車で市内をウロウロ。

 

中学校は、体育祭です。

コロナ禍のため、来賓出席は自粛してくださいです。

 

秋を感じる晴天でした。(秋晴れ)

柿も少し色づいてきました。

 

少し、暑いぐらいでした。

彼岸花も咲いていました。

途中、無人の栗🌰販売所がありました。

1袋購入しました。

以前同じ場所でミカンを購入しました。

 

午後からは、しんぶん赤旗日曜版を2コース配達に行きました。

標高が高いので、少し涼しく感じました。

山間部の横尾地区は、ブドウ🍇狩りの方でにぎわっていました。

 

空き家の木の件で生活相談がありました。

「異次元の金融緩和」は完全に破綻(43名)

23日(金)は、夕陽の日。

目的がええな😀。

 

東大阪市の支援デーでアンケート配布の予定でした。

 

カッパやタオル等を用意して気合いを入れていましたが・・・・。

雨のため、無理しなくてもよいと連絡が入りました。

 

急遽予定していた党員さんに電話を入れました。

 

気合いが抜けて、脳休めの日にしました。

日本日本共産党の志位和夫委員長は22日、国会内で記者会見し、日銀が同日の金融政策決定会合で「異次元の金融緩和」の維持を決定し、1ドル=145円を超える24年ぶりの異常円安を更新したことについて、「『異次元の金融緩和』政策を維持すれば、異常円安がさらに進み、物価高騰がさらに進むことは分かり切ったことだが止めるに止められない。これが現状だ。金融政策が完全に手詰まり、破綻に陥っている」と批判しました。


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(写真)記者会見する志位和夫委員長=22日、国会内

 その上で、金融政策がなぜ手詰まり、破綻に陥ったかについて、「日本が『賃金の上がらない国』から抜け出せない。ここに最大の原因があることは明らかだ」と強調。現状を打開するためには二つ必要なことがあると指摘しました。

 一つは政治の責任で本気になって賃上げのための実効ある政策をとることです。

 志位氏は「これまでの『賃上げ減税』では、多くの赤字でがんばっている中小企業に減税の恩恵が届かない。これではまったく賃上げの役に立たないことは事実が証明している」として、「中小企業に対して社会保険料の減免を中心に賃上げのための思い切った財政出動を行う。中小企業で働く人々の賃上げを政治主導で進めることが必要だ」と主張しました。

 また、日本共産党が大企業の内部留保への時限的な課税を行い、10兆円の財源で中小企業支援を行うよう提案してきたことをあげ、「まさにこれが待ったなしになっている。中小企業、大企業の労働者双方の賃上げにつながる、そういう実効ある賃上げ政策をただちに打つ必要がある」と語りました。

 もう一つは、物価高騰から国民の暮らしを守ることです。

 志位氏は「実効性のある緊急対策をただちに行うことが必要だ」と強調。「政府が出しているメニューのようなごく一部の人たちに5万円1回こっきりのものを配るというのでは、まったく対策にならない」と批判し、「私たちがかねてから言っている消費税5%への減税に踏み切るべきだ」と訴えました。また、10月から実施予定の75歳以上の医療費窓口負担の2倍化については「中止することを強く求める」と訴えました。

ヒアリング(昨日57名・32名)

22日(木)は、世界サイの日。

 

しんぶん赤旗の配達からスタート。

今年初めて長袖を着て配達をしました。

 

登校見守り挨拶活動。

 

途中から、大粒の雨が降り出し、傘を持たない高校生もいました。

 

久しぶりにやっくん兄妹と一緒に登校。

妹さんとの会話「おっちゃんのあだ名は、かにクリームコロッケや」

「なんでー」

「だって似てるもん」でした。

 

市役所へ。

 

26日(月)に開かれる、厚生文教委員会のヒアリングを1日かけて行いました。

令和3年度の決算審査も行います。

 

途中、江村議員と請願対策も行いました。

 

また、30日(金)の最終本会議に向けての追加議案の説明も多数受けました。

 

委員会原稿は、連休を使い行います。

苦手な宿題やー😂。

令和4年 秋の全国交通安全運動(13名)

20日(火)は、彼岸。

 

ダウンしました。

 

明日から「令和4年 秋の全国交通安全運動」が始まります。

 

1.目 的:この運動は、広く市民に交通安全思想の普及・浸透を図り、交通ルールの遵守と正しい交通マナーの実践を習慣付けるとともに、市民自身による道路交通環境の改善に向けた取組を推進することにより、交通事故防止の徹底を図ることを目的とする。

2.期 間:令和4年9月21日(水)~30日(金)までの10日間

3.運動の重点

 

【全国重点】

子供と高齢者を始めとする歩行者の安全確保

・夕暮れ時と夜間の歩行者事故等の防止及び飲酒運転の根絶

自転車の交通ルール遵守の徹底

 

【大阪重点】 

・二輪車の交通事故防止

 

【スローガン】 

・確認の  甘さが苦い  事故を呼ぶ

高齢者に優しい社会つくろう(12名)

19日(月)は、敬老の日。

 

しんぶん赤旗の配達からスタート。

生暖かい風が吹いていました。

 

午前中は、後援会ニュースを2地域配布しました。

 

坂道が多い地域もあり、日頃の運動不足を実感。

 

汗だく💦なりました。

午後からは、委員会対策をするもなかなか進まず😂。

 

午後4時時点での避難所開設。

 

 

しんぶん赤旗の配達の主張より。

敬老の日

高齢者に優しい社会つくろう

きょうは「敬老の日」です。高齢者がこれまでの人生経験や持ち味を発揮して、個性豊かに過ごしている姿は、次の世代にとって励みになっています。長年にわたり人生を重ねてきた方々に心から感謝し、お祝い申し上げます。

いくつになっても安心して暮らせる高齢者に優しい社会にするために、政治の役割が重要です。

長寿社会の土台を崩すな

今年、全国で100歳以上の人は9万526人となり、初めて9万人を超えました。52年連続で過去最多を更新しました。世界有数の長寿社会へと発展してきたことは、医療や公衆衛生など命と健康を守るさまざまな仕組みの拡充をめざし、改革を求めてきた多くの国民の努力のたまものです。

一方、2021年の日本の平均寿命は男性81・47歳、女性87・57歳と若干前年を下回りました。厚生労働省は、コロナ拡大の影響を指摘します。コロナ禍は、政府の後手と無為無策が重なり、多くの高齢者が感染し、命も奪われました。感染症に強い医療・保健・検査の体制をつくることが、長寿社会の土台であることを改めて浮き彫りにしています。

高齢者が安心して医療を受けられるようにすることも大切な課題です。岸田文雄政権が10月から、75歳以上が加入する後期高齢者医療制度の窓口負担(現在原則1割)に、初めて2割負担を導入することは重大です。約370万人が負担増の対象です。昨年の国会では負担が「2倍化」すれば、大規模な受診抑制を招くことが明らかになりました。お金を気にして病気がちな高齢者が受診を我慢すれば手遅れになり、命にかかわる危険につながります。

収入の大きな支えである年金は4月から引き下げられています。すでに深刻化している生活必需品の値上げは秋以降、さらに加速すると予想されます。高齢者の暮らしに追い打ちをかける「2倍化」は中止を決断すべきです。

欧州諸国では、医療費窓口負担は無料やわずかな定額が主流です。日本でも1973年から83年まで、国の制度として70歳以上の医療費を無料にした歴史があります。70歳以上の窓口負担を全て1割にし、将来的に「窓口負担ゼロの制度」へ前進することが求められます。年齢で差別する後期高齢者医療制度の廃止も欠かせません。

自民党政権や財界は“日本の社会保障給付は高齢者に偏っている”かのように描きます。しかし、日本は欧州諸国と比べ高齢化が進んでいるのに、それらの国々より社会保障費全体が少ないことが問題です。世代間の対立をあおって、社会保障費削減を進めることは許されません。高齢者を粗末に扱う政治に若者は希望を持てません。

二度と戦争繰り返さない

日本の敗戦から77年を迎え、戦争の惨禍を直接知る人の体験を引き継いでいくことも大きな課題です。広島・長崎の被爆者、沖縄戦の体験者、東京大空襲をはじめとする民間の被害者らは、いまロシアのウクライナ侵略が招いた悲劇を自らの体験と重ね合わせて心を痛め、平和への声を上げています。改憲・大軍拡を進める岸田政権への不安を募らせています。

高齢者が語る戦争体験に耳を傾け、思いを受け止め、憲法9条を生かした平和の取り組みをさらに進めることが不可欠です。

未来ひらく大きな党を(21名)

18日(日)は、かいわれ大根の日。

 

しんぶん赤旗の配達からスタートしました。

 

日曜日なので2地域の配達でした。

 

色々とやることはありますが・・・。

睡眠不足復活の取り組みを行いました。

 

寝ました。

明日、頑張りまーす。

 

志位委員長が記念講演 日本共産党創立100周年記念講演会 記念講演 志位和夫委員長

4氏からメッセージ

日本共産党は17日、党創立100周年記念講演会を党本部と全国をオンラインでつないで開催しました。志位和夫委員長が「日本共産党100年の歴史と綱領を語る」と題して講演。日本共産党の100年の歴史を貫く三つの特質と一体に、現綱領の一つひとつの大切な内容が、どのような歴史的経過でつくられてきたのかを語り、「未来をひらく強く大きな党をつくるために力をそそぐ決意を、固めましょう」と呼びかけました。沖縄県知事の玉城デニーさん、劇作家・演出家の永井愛さん、小説家・法政大学教授の島田雅彦さん、俳優の仲代達矢さんからのメッセージが紹介されました。記念講演は全国各地の視聴会場で多くの人が視聴し、ユーチューブでの視聴者は延べ4万7516人にのぼりました。


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(写真)講演する志位和夫委員長=17日、党本部

志位氏は冒頭、メディアから「なぜ100年間続いたのか」という質問が寄せられたことを紹介し、「一つの政党が1世紀にわたって生命力を保ち、未来にのぞもうとしていることの意義は小さくない」と強調。その上で、日本共産党の100年を貫く三つの特質を語りました。

不屈性

第一の特質は、どんな困難のもとでも国民を裏切らず、社会進歩の大義を貫く不屈性です。

志位氏は「ただやみくもに頑張るのでなく、科学の立場で社会発展の先々の展望を明らかにする先駆性と一体になった不屈性こそが、日本共産党の特質です」と強調しました。

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(写真)記念講演をする志位和夫委員長=17日、党本部

志位氏は、戦前の党の歴史における不屈性は、天皇絶対の専制政治――絶対主義的天皇制の変革に正面から挑むという姿勢と一体のものだったと指摘。天皇絶対の専制政治は、日本社会の発展の最大の障害物だったとして、「日本共産党の誕生は、天皇絶対の専制政治の変革に、科学的社会主義の立場に立って、正面から取り組む政党が、日本に初めて現れたという歴史的意義をもつものでした。それは侵略戦争反対、国民主権の実現など、平和と民主主義の問題でも、これに正面から真剣に取り組む政党が初めて現れたという国民的意義をもつものでした」と語りました。

このたたかいの中で、戦前の先輩たちが迫害によって命を落としたこと、その中には若い女性の不屈のたたかいもあったことを述べた志位氏は、当時の弾圧法・治安警察法によって女性の政党への加入が禁止されるもとで、「日本共産党は、この時代に、多くの女性党員をもち、女性党員の誇るべきたたかいを歴史に刻んだ唯一の党だったのです」と述べました。

弾圧によって党中央の活動は中断に追い込まれたものの、その期間も、「戦後の新しい社会を準備する豊かな営みも生まれた」として、獄中にいた宮本顕治さんと、その妻の百合子さんの12年のたたかいを詳しく紹介しました。

続いて、戦後の党の不屈の歩みを支える画期となったのは、1961年の第8回党大会で確認した綱領路線――民主主義革命を当面の任務とし、社会主義的変革にすすむという路線だったと強調。5年にわたる綱領論争を経て、8大会で「反帝反独占」の民主主義革命――異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破を戦略的任務とした意義を述べ、「とりわけ、米国の対日支配の打破を革命の戦略的課題にしっかりとすえたことは、その後のわが党の不屈のたたかいの最大の支えとなりました」と語り、その後の歴史が61年綱領の正しさを証明したと指摘しました。

その上で、「沖縄の不屈のたたかいの歴史をお話ししたい」として、来年は、沖縄人民党が日本共産党に合流して50年の節目となると強調。沖縄人民党のリーダーを務め、日本共産党副委員長をつとめた瀬長亀次郎さんの不屈のたたかいについて語りました。不屈の闘争の根本には科学の力があったと述べ、沖縄のたたかいと「日本共産党の61年綱領との深い理論的な響きあいがあった」ことも紹介しました。

志位氏は、61年に確定した綱領路線は今日、大きな力を発揮しているとして、ロシアのウクライナ侵略を利用した改憲・大軍拡推進の大逆流に対し、日本共産党が不屈にたたかい、押し返してきた土台には「61年前に打ち立てた綱領路線の生命力が脈打っています」と力説しました。

自己改革

第二の特質は、科学的社会主義を土台にして、つねに自己改革の努力を続けてきたことです。

志位氏は、「日本共産党に対して『無謬(むびゅう)主義』―“誤りを決して認めない党”という攻撃が繰り返されています。しかし、これほど的外れのものはありません」と批判。党の歴史の中には、誤りや歴史的制約もあるとして、「それらに事実と道理に立って誠実に正面から向き合い、つねに自己改革を続けてきたことにこそ、最大の生命力があります」と語りました。

志位氏は、100年の歴史を通じて、党の最大の危機は、1950年に旧ソ連のスターリンと中国によって武装闘争をおしつける乱暴な干渉が行われ、党が分裂に陥った「50年問題」だったと指摘。この危機を乗り越える過程で、大きな自己改革を遂げてきたと語りました。

終戦直後の時期まで、党にはソ連や中国のやることには「間違いはない」という認識があったとして、「そうした認識を、わが党への乱暴な干渉と党の分裂という最大の誤りを解決していくなかで、大胆に乗り越え、自主独立の路線――日本の党と運動の問題は、日本共産党自身がその責任で決定し、いかなる外国勢力の干渉も許さないという路線を確立していきました」と語りました。自主独立の路線は60年代以降も旧ソ連、中国・毛沢東派による干渉に反対する闘争の中で、全党が国際問題の論文を徹底的に読むなどして全党の血肉になったと語り、「干渉と正面からたたかいぬき、打ち破ったことは、国民的意義をもつものではないでしょうか」と述べました。

志位氏は、「自主独立の路線のうえに、この60年余、綱領路線の大きな理論的・政治的発展をかちとってきた」と強調。その発展がどれも生きたたたかいの中でかちとられたものだとして、(1)アメリカ帝国主義論の発展(2)“議会の多数を得ての革命”――選挙で国民の多数の支持を得て平和的に社会変革を進める路線(3)党綱領の世界論の大きな発展と野党外交(4)社会主義・共産主義論(未来社会論)の画期的な発展―の4点について、どういう経過を経て達成されたのかを詳細に語りました。

この中で、“議会の多数を得ての革命”に関わって、「50年問題」で分派が干渉者の言うままに武装闘争方針を押し付けたことについて、1956年6月の中央委員会総会(「6全協」・7中総)で、「議会を通じて、平和的に革命を行うことが可能となった」と明記するとともに、分派がつくった武装闘争方針の土台となった文書(「51年文書」)を日本の現状に「適合しない」ときっぱり否定したと指摘。これを契機に綱領討議が正式に始まったとして、「武装闘争方針の否定こそが61年綱領を確立する出発点でした」と強調しました。

また、野党外交と世界論について、欧州など発達した資本主義国の左翼・進歩党などの現状に触れ、「野党外交の新しい発展方向として発達した資本主義国の左翼・進歩政党との交流と協力の新たな発展をはかりたい」と表明しました。

その上で、「この理論的・政治的達成は、自主独立の立場であらゆる覇権主義とたたかい続けた全党の奮闘によってかちとった成果です」と強調しました。

「日本共産党は党の活動と組織のあり方においても、自己改革を重ねてきました」と語った志位氏は、党が「50年問題」の総括にたって、いかなる事態のもとでも党の統一と団結を守る民主集中制の原則を守り、発展させることが大切だという教訓を引き出したと強調。日本共産党が党大会において民主主義をどのように貫いているかについて詳しく語り、「民主集中制に対する攻撃は、わが党の民主的運営の生きた実態や、自己改革能力を見ようとしない不当な独断に満ちたものです」と批判しました。

統一戦線

第三の特質は、国民との共同――統一戦線で政治を変えるという姿勢を貫いてきたことです。

志位氏は、61年綱領が確定した後の60年余りは、「『政治対決の弁証法』と呼ぶべき支配勢力との激しいたたかいの連続でした」と指摘。日本共産党が躍進した三つの時期を振り返りながら、支配勢力との攻防の歴史を語りました。

第一は60年代末~70年代の躍進です。その特徴は、60年代に粘り強く続けられた党建設の飛躍的発展を土台の上に実現したことでした。志位氏は、それに危機感を募らせた支配勢力が反共キャンペーンを開始し、80年の「社公合意」により、日本共産党を除く「オール与党体制」がつくられたと指摘。しかし、共産党は「無党派」との新しい統一戦線運動に取り組んだとして、革新懇運動の歴史的意義を語りました。一方で、「オール与党体制」の腐敗政治の中で、共産党が選択肢として浮上し、これを恐れた支配勢力は新たな戦略として、小選挙区制の強行と保守の「二大政党制」づくりをすすめたと指摘しました。

第二は、90年代後半の躍進です。この時、党史上最高の峰に躍進しましたが、同時に党の政治的影響力の急拡大に、実力が追い付かないという課題もありました。志位氏は、この躍進に対し、今度は財界主導で「自民か、民主か」という「二大政党の政権選択」が押し付けられ、「最大・最悪の厳しい逆風として作用しました」と指摘。この最も苦しい時期にも統一戦線を発展させる新しい努力と探求を続けたとして、草の根の革新懇運動や「一点共闘」が各分野で広がったと述べました。

第三は、2010年代中頃の躍進です。「二大政党の政権選択」が崩壊するもとでの躍進でしたが、ここでも「実力以上の躍進」と総括し、党の実力とのギャップを埋めねばという奮闘が続けられました。党は、安倍政権による安保法制の強行に反対する国民運動が大きく発展する中で、「市民と野党の共闘」という新しい挑戦に踏み込みます。志位氏は、支配勢力の攻撃は熾烈(しれつ)なものとなり、17年、21年の総選挙では野党共闘攻撃・反共攻撃が行われたとして、「この攻撃は支配勢力がいかに共闘を恐れているかを強く実感させました」と指摘。「この攻防は現在進行形です。次のたたかいで必ず反転攻勢を」と訴えました。

志位氏は、反共キャンペーンと暮らし・平和破壊の政治は一体だとして、「国民こそが最大の被害者です」と強調。「反共と反動のくわだては、その一歩一歩が、自民党政治と国民との矛盾を広げ、その行き詰まりを深刻にしています」と述べ、「大局的・客観的に見るならば、日本はいま新しい政治を生み出す『夜明け前』となっているといっても過言ではありません」と強調。日本共産党を躍進させてこそ、新しい政治を生み出す「夜明け」が現実のものになると訴えました。

その上で、「その最大の力、保障となるのが、強く大きな日本共産党を建設することです」と強調。現在の党の発展段階と客観的条件を60年代中頃と比較してとらえたときに、巨大な変化があるとして、(1)綱領路線の発展(2)自民党政治の行き詰まり(3)日本共産党の政治的影響力の大きさ(4)国際政治で“主役交代”が起きている――の四つをあげました。「この巨大な変化を生かして、未来をひらく強く大きな党をつくるために力をそそぐ決意を、党創立100周年にあたって固めよう」と呼びかけました。

次の100年へ

最後に志位氏は、日本共産党が社会主義・共産主義をめざす革命政党であり、「革命とは平和的で合理的な、同時に、根本から社会変革を進めることです」と強調。「だからこそわが党は、支配勢力の攻撃につねにさらされてきました。100年を振り返り、順風満帆な時期はひと時もありませんが、支配勢力による攻撃は、わが党が革命政党であることの証しです」と述べ、100年の歴史で発揮された特質を新しい時代に発展・継承し、希望ある未来をひらくためにともに奮闘しようと呼びかけました。

100年の歴史を持つ日本共産党(46名)

17日(土)は、国際レッサーパンダの日。

 

しんぶん赤旗の配達からスタート。

台風の影響💨で心地よい風が吹いていました。

 

その後、赤旗日曜日版を2地域配達しました。

 

もう明るくなっていました。

 

自宅前🏠では、老朽化した水道管の更新工事が始まりました。

家を出ると、市の職員さんがいらっしゃいました。

 

ガス管と水道管の位置確認をしています。

 

確認後は、埋められました。

職員さんもご苦労様です。

 

大県事務所で本郷事務所の党員さん合同で創立100周年記念講演会を視聴しました。

100年の歴史と綱領の変遷が語られました。

なかなかどころかかなりボリュームがありました。

 

1922年(大正11年)の7月15日に創立しました。

立党精神は、「国民の苦難の軽減を図る」です。

 

創立100周年\(^^)/。